1.【転職・副業したい方必見】教員失格のレッテルを貼られた私が人生大逆転した舞台裏(ストーリー)

こんにちは!初めまして!

このブログを見て頂き、
ありがとうございます。

こうです。

私のことを知らない方が
多いと思いますので、

このブログでは
私の自己紹介をさせて頂きます。

私は現在38歳で、
大学卒業してからすぐ
中学校の英語教員を11年務め

現在は
WEB上でSNS運用やブログ等をしたり
自分のコンテンツ(商品)を売ったり

アフィリエイトをして
収益をあげています。

好きな仕事を好きな仲間とできており
今がこれまでで一番充実した時間を
過ごせているように感じています。

教員時代に苦しんだのは
「時間」がなかったことです。

その経験から、
「好きなことを仕事にする」

これが私のフリーランスに
なる前の大きな希望でした。

そこで、今回は
元教員がフリーランスになるまでの
私の経験をお伝えしたいと思います。

過去の私のように、

「今の仕事が好きではない」
「今の仕事が得意でない」
「時間に縛られる生活はゴメンだ」

そんな方に向けて作りました。

「何から始めればいいのか分からない」
「誰に相談していいのか分からない」
「一度講座に申し込んでみたけど
全然稼げなかった」

分かります。
私もそうだったから。

だから、ある意味
今回のこのブログも

過去の何も知らなかった
自分自身に伝えるように
書いていきます。

悩みが似ていれば似ているほど
その方の気持ちに共感できる
気がしています。

あなたと私の共通点があったら
嬉しいです。

それでは、ここから

私こうの
「がけっぷち逆転ストーリー」を
お話ししていきます。

 少年時代の私は、
母親が教員ということもあり

教員になれれば
幸せになれるんじゃない?
と考えていた

「周りに流される」
優柔不断男でした。

当時から私は
これと言った特徴がなく

仲の良い人とは喋れるのに
好きな子の前では何も話せなくなる

人見知りの内気な少年でした。

小学校時代はサッカー少年団
中学校時代は男子バレー部

高校時代は
人間関係のわずらわしさを避け
帰宅部に

大学は某有名大学に行ったものの

ただなんとなく、
周りに流されて過ごしてきました。

「親が先生だから
とりあえずオレも先生になろう」
「就職活動しなくていいから
ラクじゃん!」と

ラクにラクに
逃げる毎日でした。

中学生の時期は、
成績を上げようと
先生に媚を売っていました。

高校では
成績が関係なくなったので
授業中ほぼ寝ていました。

大学時代は
毎週のようにサークルの仲間と
お酒ざんまい。

家にいる時はYoutubeや
スマホゲームをやって

ガンダムシリーズや
マクロス、北斗の拳のDVDを
ダラダラ見て

食べたいものを食べる生活。

大学3年でも
企業に就職するつもりはなかったので

他の同級生の就職生たちを横目に

「自分は先生になるから大丈夫」
「オレは公務員になるんだ。
そうすれば人生安泰だ」

と浅はかに考えていました。

そんなこんなで大学3年になり、
教育実習で地元の中学校に凱旋しました。

授業作りにてんやわんやで
正直授業らしい授業は
できませんでした。

それでも中3の生徒たちは
私に勇気をくれました。

「絶対いい先生になってね」
「本当にいなくなっちゃうの寂しい」

そんな言葉をもらい、私は

「先生ってなんていい職業なんだ!」

と心を躍らせたのを
今でも覚えています。

最後には寄せ書きをもらい、
私の意思は固まりました。

教員採用試験に合格し、先生になる。
そこで幸せな人生を送る。

そう決意したのです。

大学4年生の時に、初の試験を受け、
見事に不合格となりました。

教員時代の素晴らしい未来を
夢見ていた一方、
試験内容はとても好奇心を
そそられるものではなかったからです。

勉強にも身が入らなかったので
当たり前です。

そこで、母親から
「臨時的任用職員をやるといいよ」
「給料は正規くらいもらえるし、
2年以上やると、1次試験免除される」

そんなアドバイスをもらいました。

私の考えは決まりました。
すぐに臨時的任用職員になることを
決めたのです。

そして、大学卒業式の月の3月、
市教委から連絡を受け、
私は臨時的任用職員となりました。

それは3月20日のことでした。

しかし、
3月28日に思いもよらぬ電話が
かかってきたのです。

「副担として赴任してもらう
予定でしたが、突然だけど、あなたには
担任をやってもらうことになります」

まさかのニュースでした!!

全くの未経験の私が
1つのクラスの担任になるなんて…。

驚きが隠せませんでした。

しかし、
事の重大性を全く把握しておらず
「はい、やります!」と
答えてしまいました。

そこから私の地獄が始まります。

(1)未経験のラグビー部顧問に任命される
(2)周りの先生も自分で手一杯で助けゼロ
(3)朝5時起き、帰宅時間は平均で23時
(4)土日は全て練習試合
(5)クラスが荒れに荒れる

朝起きるのも辛い毎日の
幕開けでした。

私が思い描いていた教員生活とは
全く異なったものだったのです。

それでも、
始めはくらいつこうとしました。

「教員は経験職、
慣れてくれば必ずラクになる時がくる。」

そう言い聞かせていました。

しかし、どんなに頑張っても

(1)授業準備
(2)担任としての業務
(3)校外分掌の仕事
(4)行事の担当としての仕事

など、新しい困難が次から次へと
押し寄せてきたのです。

私が思い描いていたのは

(1)生徒たちから慕われる先生になる
(2)定時(17時)で帰れる
(3)自分に関わる全員が幸せになる
でしたが

現実は

(1)生徒たちから嫌われる
(2)夜23時に帰り、朝3時まで
成績処理で仕事することも
(3)自分に関わる全員が不幸になる
といった状況でした。

教員になってから

「教員の大変さ」
「自分が教員には適していない」
「好きな仕事を選べなかったこと」
に気づいたのです。

しかし、私には
すぐには辞められない
事情もありました。

幼い時に離婚して
女手一つで育ててくれた
母親の期待を

そう簡単に
裏切るわけにはいかない、
と思ったからです。

また、どこかで自分は成長して
仕事がラクになるはずだ、
と期待していたからです。

しかし、
現実は甘くありませんでした。

(1)全然部活動指導をしたくないのに
部活動顧問にさせられる
(2)モンスターペアレンツとのやりとり

心もズタボロになりました。

なんとか必死の思いで
11年間教員を続けたのです。

しかし、37歳の時に
ある出来事がありました。

仲良くしていた同僚の先生が
脳溢血で亡くなったのです。

原因はもちろん仕事のストレスからでした。

彼は私と同じく
毎日時間外労働を強いられていた人でした。

「このまま自分が好きだと思える仕事を
続けられないなら、
私は死ぬ時に後悔するだろう」

「今の人生を
なんとしてでも変えたい!」

その一心で、私はようやく
職業を変えるための行動を
とることにしたのです。

しかし、いくら転職したいからって
自由でなければ意味がない

「自由な時間」が確保できて
個人で稼げる職業はないだろうか

そんな気持ちから、私は
SNSを使って個人で稼ぐ方法を
模索していきました。

最初はX(旧Twitter)で情報収集するも
あるのは

「副業で月100万余裕です」
「投資でFIREしました。」
などの情報。

「怪しい怪しい」と思ってはいても
何から始めればいいか分からなかったので

懸命に探しました。

何度も繰り返しますが、
私にとって大切なのは「時間」

ゆとりある生活を確保できるような
フリーランスになるための情報。

これを探してました。

そこで1つの広告を発見したのです。

それが、某コピーライティングの講座です。

「コピーライティングを学べば収入は青天井」
「慣れてくると
案件がたくさんもらえて引くてあまた」

そんな宣伝に釣られ総額90万円を
支払いました。

期限は9ヶ月。

「絶対に人生を変えてやる!!」

その気持ちがあったので、
多少の投資は惜しくないと
思っていたのです。

しかし、その講座は

(1)チャットサポートのみ
(2)具体的に仕事を
紹介してくれるわけではない
(3)結局クラウドワークスなどから
の低収入案件を引き受けよう
というものでした。

しかも、
チャットで相談しても、
返事はなかなか来ない。

こんな状況で
人生を変えられるわけが
ありませんでした。

私は絶望しました。

総額90万円を注ぎ込んだのに、
収益が1円にもならなかったのです。

私は不器用な性格なので、
一度失敗しないと
一度痛い目をみないと
分からないタイプ。

もう自分が信じられなくなりました。
絶望感に打ちひしがれました。

でも、私には退路はなかったんです。
先生に戻るつもりもなかった。

もうあの地獄のような日々に
戻りたくない。

その一心で、気を取り直して
もう一度情報収集を
始めました。

そこで、
あるビジネス系の方の投稿をみて
衝撃を受けたのを今でも覚えています。

「スキルだけでは稼げるようにはならないよ」
「結構フリーランスで稼ぐのは難しいよ」

と現実的な発信をされている投稿を見つけました。
私にとっては雷光のような衝撃を受けました。

他の投稿は大体目先の利益。
ノウハウばかりを
語っているものだったからです。

他の人とは違う何かがあると感じました。

「この人しかいない!」

私はこの方が当時行っていた
「無料相談」を受けたのです。

彼が
後に私のビジネスの師匠となる方でした。

彼は起業家で
月収が300万近くある
マーケティングのプロでした。

初めての電話はとても怖かったのを
今でも覚えています。

しかし、私はその時に
自分のこれまでの生い立ちから
全てを彼に話しました。

それを全て聞いてくれた上で、
決して否定することなく
話を聞いてくれました。

もうすでに成功されているのに
とっても謙虚な人でした。

その電話でお話を聞いたものの、
起業家だったため、
お忙しかったようで、
その電話は途中で終わりました。

しかし、その後
私は彼にどうしても
ビジネスの基礎から
教えてもらいたくなりました。

そこからなんとか時間をとって頂き
対面でお話しすることができ
ビジネスを教えてもらうことになりました。

それでもまだ不安はありました。

「本当に自分は収益を上げられるのか」
「ちゃんと最後まで面倒見てくれるのか」

どうしても前回の講座の失敗が
頭の片隅にあったからです。

でも、私は彼のやり方を
信じぬこうと心に決めました。

彼の真似さえすれば、
自分も稼げると単純に思ったからです。

彼のやり方はドラクエ式。
(私が勝手に名付けました。笑)

レベル1の時はスライムから
倒す練習を教わります
(ドラクエ知らない方、
申し訳ありません)

レベルを1ずつ
コツコツと上げていくやり方なので
初心者でも分かりやすかったんです。

集客・販売・商品作成の
一連の動きを学ぶことができました。

実際に彼から教わって

(1)78日目で初収益
(2)4ヶ月で月6万
(3)5ヶ月で月10万

と駆け上がり

今となっては生活に困らない収入を
得ることができるようになったのです。

教員と違うのは

(1)時間に縛られない
(好きな時に仕事ができる)
(2)好きなことで稼げる
(3)公務員収入を超える

この3点です。

もちろん稼ぎたい目標金額が
高ければ高いほど
その分努力は必要ですが、

私は何よりも得たかった
「自由な生活」を
手に入れることができました。

自分の好きなジャンルで
自分のコンテンツを作り
自分の商品を高単価なものにしていく

まさに
「個人で稼ぐ」ことが
いつの間にかできるようになりました。

人生で大切なことは3つ
「運」「決断」「継続」

もしあなたが以前の私のように
今の仕事や置かれた環境を変えたいと
思っているのなら

自ら「運」を掴みにいくべきだと思います。

「運」というのは出会いであり、
チャンスのことです。

「運」に出会うチャンスは
自分で引き寄せるものです。

また、「運」に巡り合っても、
結局行動できずに
「決断」できない方も
いらっしゃいます。

それはそれで自分の意思で
決めたことですから
特に止めはしません。

私は人生を変えたかった。
だから行動しただけです。

次はあなたの番です。

「これから数十年
好きでもない仕事を続けるのはイヤ」
「自由でかつ高収入を得るための
方法がどうしても知りたい」

私は教員という安定を捨ててまで
「決断」しました。

だから今があると思っています。

あなたがもし今苦しんでいるのなら
3年後、5年後、10年後の自分まで
苦しませてはいけません。

3年後、5年後、10年後の未来を変えるのは
いつだって「今のあなた」です。

ということで、
最後まで読んでいただき
ありがとうございました!

ご感想やご質問があれば
遠慮なくDMをください。

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お気軽にご相談ください。

ありがとうございました!

こうでした。

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